作品表現にこれから起きる事態の予感を見出すことがある。現代美術というカテゴリで活動している作家は常に自分が生きている「今」を表現しているのだと思う。また無意識的に感じ取っている「今」の状況から未来を予測する様な表現に至ることもあるのではないのだろうか?学者は過去から集めたデータや知見に基づいて今を分析し未来を予測するが、その予測は外れ想定を超えて全く違う世界の出現に至ることが多い。グローバリズムは一部の特権階級が地球の全てをコントロールして手中に収める方向に向かっている様だが、決してそうはならないだろう。
私も「現代美術」という範疇で作品を制作発表してきているつもりである。2018年に参加した名栗湖国際野外美術展で展開したSIGN(予兆)は不穏な現代の空気感を感じてできたものだ。名栗湖の周遊道路沿いに折れ線グラフを点在させた。グラフはいろいろな容態を視覚化するものであるが、造形的な線と捉え自然の中に点在させ、鑑賞者が生きている今や未来について感じてもらうことを願って制作した。
美術館やギャラリーでは海辺に打ち上がった木片の風景に線を通過させたインスタレーションを展開した。展示会場の白い壁は絵画を設置するための架空の平面としてそこにある。架空の線は現実の風景を横切る時、何らかのリアリティーを持って私たちの目の前に現れてくる様な気がする。それはその風景と楽しく共振することもあれば、不協和音となり私たちを不快にさせることもある。上昇と下降を繰り返す線は私たちに心理的な変化を起こすに違いない。
SIGNは福島県いわき市田人にある休耕田でも展開した。かつて米が生産されてきたこの場所は雑草が生い茂る沼地と化している。縦横に走る折れ線はこの田んぼの紆余曲折な歴史を表し、これからの世界を暗示しているのかもしれない。しかしその予兆に気づく人は少ない。やがて現れていたSIGNは草木に埋もれ忘れ去られ、いつのまにか大変な世界に身を置くことになってしまうのであろうか?
荒川河川敷の葦の群生地で制作を予定していた「SIGN」は台風被害で大洪水となり展覧会は中止。構想だけにとどまり実際の制作には至らなかった。このスケッチに現われている予兆が現実のものとなったのである。そしてこの乱調の状況は現在のCOVID-19が世界を覆っている様相と重ならないだろうか?
2018年に集中して展開された「SIGN(予兆)」は今のCOVID-19のパンデミックの予兆だったとも言える。世界では想定外のことが次々と起こっている。情報化社会が加速し、世界で起こっているあらゆる惨事が即座に世界を駆け巡る。しかし、実効性ある手立てがほとんどできないジレンマにみんなが陥っている。情報はますます管理統制され、管理する側とされる側への振り分けが進んでいる。
「現代美術」に世界を変えるような実効性があるとは思えないが、多くの人とともに今を共有し、これから起こることの予兆を感じさせる可能性があると思っている。